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親は大学の学費についてどう思ってるの?

今日ははてなブログのお題にそって学費問題について書こうと思う。

 

今週のお題「私のお父さん」 

 

だ。

 

【年に数回会うだけの「私のお父さん」】

 

私は10歳の頃に母子家庭になった。両親の離婚を境に「私のお父さん」とは年に数回会う程度の関係になった。

 

別れた親と全く会わない家庭もあるだろうが、二人とも同じ町内に住んでいて距離も遠くなかったので、私は「私のお父さん」にたまに会いにいった。

 

「私のお父さん」についてもっとも印象深いのは私が浪人していた頃の事だ。

 

【「私のお父さん」は私をどう思っていたのか】

 

その頃、私は大学進学について母と喧嘩をしていた。母は「高校までなら学費を出せるが、それ以上は難しい」と、大学進学に反対していた。私は「国立に入り、奨学金とバイトでなんとかするから絶対進学する」と譲らなかった。

 

しかし、北海道の片田舎から国立に進学するのはとても骨の折れることだ。志望校を絞り受験をしたが、落ちたことが分かり、浪人する事になった。浪人したのは滑り止めを受けるだけの経済的余裕が無かったのだ。交通費、受験料、ホテル代、これらを賄うために新聞配達などで貯めた貯金はすぐに消えてしまった。

 

浪人が決まると、私は母から家を出るように言われた。それはお互いの約束だった。「高校までは出してやる」というのは、高校を卒業するとどんな理由があっても「自立してもらう」ということと同じ意味だった。私も母の考えがよくわかったので、家を出た。

 

そして私は「私のお父さん」の家に居候する事となった。

 

居候をした後は、町内のコンビニで働きながら自宅で受験勉強をしていた。

一年だけ居させてもらう約束だったので、後がなく、必死に働いて勉強した。

 

「私のお父さん」はパチンコが好きだった。仕事が終わると毎日のようにパチンコに繰り出した。離婚する前からそんな感じの人だった。

 

負けて機嫌の悪い時は八つ当たりをされた。

 

「どうせお前達は(母と私の事)、俺の悪口をいつも言っていたのだろう」と変に偏屈な考えで絡まれた事がある。それは全くの誤解だった。

 

居候を始めてから「私のお父さん」と私はしょっちゅう衝突した。母を非難したり、母の私に対する教育(躾)不足を非難したり、私を非難したり、色々と言い争いになった。全てが難癖に似たものだった。私は勉強だけに集中をしたかったので「私のお父さん」にはもう構わないで欲しかった。

 

冬になると二人の関係は同じ屋根の下に住みながら絶縁状態だった。

 

当時の暮らしの一例を挙げよう。

北海道の冬は寒い。私は二階の一室を借りていたのだが、布団は母の家から持ってきた毛布が三枚あるだけだった。ストーブを買うお金が無かったので、私は持っていた靴下やセーターなど全て着込み(ジャージの上にジーパンを履いたり、Tシャツを二枚重ねしたり)、その上にスキーウェアをまた着る形で毎日寝ていた。一日中、部屋の気温は2,3度付近だった。日中の暖かさを頼りに、手に息を吹きかけては参考書を解いていた。同じ時期、「私のお父さん」は一階で暖かくして寝ていた。恐らく私が凍えている事は知っていたはずである。

 

そんな風に、同じ家に住みながら私たちはまったく違う世界で暮らしていた。

 

その溝が埋まらないまま、さらにもう一悶着を経て、大学合格を機に逃げるようにして家を離れた。

 

高校生の頃、「大学に行くなら俺が学費を払ってやる」と言われた事もあった。しかし、今から考えてみると、年に数回しか会う事の無い「私のお父さん」なりの見栄だったように思う。実際はそんな余裕は無かったし、居候までされて困っていた事だろう。

「私のお父さん」も大学進学には反対だったはずだ。

もし息子に年間50万円や100万円を越える学費を出してくれと頼まれたらと考えると、冷や汗ものだったに違いない。「私のお父さん」も母もお金の不安があり、大学進学を反対していた。自分たちの生活も脅かされることになるのだから、当然と言える。私はその気持ちは痛い程よく分かっていた。

 

ちなみに浪人は2004年の話だ。アルバイト先のコンビニで冬のソナタの曲がまだ流れていた、そんな頃である。 

 

大学に行っても学費負担がしんどかったが、それはまた今度。今は学費問題や奨学金問題に関わっている。同じような境遇の学生が、自分のように苦しまず大学に通える社会を作りたいからだ。大学進学ごときが障害になって、人生の門出を親から祝ってもらえないという悲しい人生を歩む学生が一人でも減って欲しい。両親の家から逃げるように出て行く体験は気持ちのよいものではない。

 

【「誰かのお父さん」「誰かのお母さん」を尊敬しよう】

 

ところで、殺伐とした環境から出てきて初めは分からなかったが、札幌で学ぶうちに大学の学費が高い事について学生と同じくらい深刻に悩んでいる親がいることを知った。

 

「私のお父さん」もこうして心を痛めていたのだろうか。以下は私立大学の学費問題に長年取り組む団体が発行している「家計負担調査」からの抜粋だ。

 

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2010年度 北海道版 大学新入生の家計負担調査より

 ・家庭の負担が非常に重く一日も早い制度化(筆者註:恐らく給付型奨学金を指している)を切に願う。途中でも、奨学金の申し込みが出来る事を希望したい。バイトを予定し入学致しましたが予定通り行かず大変に厳しい状況。学生にバイト情報の提供を希望。本来ならバイトさせずに勉強に部活動と集中でき4年間をエンジョイさせてやりたい。親なら誰もがそう願う筈、このような事を書かざるを得ない心境は親としてとても情けなく辛い事です。

 

 ・大学に行きたいと思う気持ちを大切に思えば色々してあげたいのですが家計の負担は大きくなりガマンをさせている現状です。奨学金の借り入れをしていますが、済まない気持ちでいっぱいです。将来の返済時に少しでも軽くなる事を願ってますが、本人の頑張り次第でしょうね・・・。

 

・子供が目指すものがあり、生活が苦しいのが分かっている中、大学進学を希望し、親としてもなんとか進学させたく、入学させましたが入学前、入学後もかなりの負担になっています。共働きでも低所得のために、子供がアルバイトをして生活費にあててます。親からの仕送りはありません。奨学金の支給は受けていますが、秋に支払う授業料があるので、生活費や交通費等にあてられません。アルバイトばかりで勉強ができない状態です。低所得の家庭でも、負担が軽減されて、親も子供も無理なくできるようになれば良いと思うのですが。

 

・学費は家計の負担を圧迫しています。自宅から通っていますが、年間100万円以上の学費は大きな出費です。アルバイトをして学費以外の経費は自分で捻出するという事で大学進学を決めました。大学を卒業しても進学先が無いと言う現状にとても不安です。高い学費を払い、卒業後、アルバイト・・・じゃ困ります。私立校と私立大の子供の学費の為、朝から夜まで夫婦で働いています。もう少し、負担が減ってくれたら・・・と願います。

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ここに紹介した父母の声は全体の10分の1にも届かない。

今日も我が子のために誰かの「私のお父さん」や「私のお母さん」が頑張っている。

 

【「自分の子供」を悲しませないために】

 

このブログを読んで、「誰かのお父さん」を助けるために学費問題や奨学金問題に興味を持ってくれる人が出てきたら、とても嬉しく思う。自分が「子供のお父さん・お母さん」になるときまで、学費問題・奨学金問題という不公平で情けない問題を残していてはならないはずだ。一緒に取り組んでいきましょう。

 

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